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新潟家庭裁判所 昭和36年(家)159号 審判 1961年4月07日

申立人 谷川耕司(仮名)

相手方 谷川キミ(仮名)

主文

本件申立を却下する。

理由

本件申立理由の要旨は、「申立人は、昭和三四年三月一二日相手方と事実上の婚姻をし、爾来申立人においてその家族とともに同居していたが、同三五年八月一二日婚姻の届け出をして法律上の夫婦となつたものである。ところが、相手方は昭和三五年八月一五日申立人との間の些細なことにもとづく口論をしたのち家を出て、その生家に帰つたまま、申立人のもとに帰来せず、新潟家庭裁判所に対して離婚調停を申し立てたが、その後相手方自身においてこれを取り下げた。申立人としては、相手方との間には別段婚姻を継続しがたい重大な事由があるとも思われないし、もともと夫婦は相互に同居すべき義務があるのだから、再び同居して夫婦生活を続けて行きたいと考えている。それで相手方は申立人と申立人方において同居せよとの審判を求めるため、申立人におよんだ。」というのである。

よつて案ずるに、新潟市長作成にかかる申立人を筆頭者とする戸籍謄本、当裁判所調査官作成にかかる本件および当庁昭和三五年(家イ)第二一二号離婚等調停事件についての各調査報告書、右離婚等調停事件の記録ならびに当裁判所の申立人と相手方に対する各審問の結果を考えあわせると、つぎの事実を認定することができる。

申立人は昭和九年一月○日、肩書本籍で農業を営む父谷川耕一、母君江との間に第二子、長男として出生し、居村の○○小学校を卒業したのち、父母を助けて実業の手伝いをしており、相手方は同年六月○○日、中蒲郡石山村(現在は新潟市に編入)紫竹○○○番地で農業を営む父小山一郎、母フサとの間に第三子、次女として出生し、居村の○○小学校を卒業したのち家業の手伝いに従事していた。申立人は昭和三三年秋頃、仲人宮本ミネの世話によつて相手方と見合をした結果婚約し、同三四年三月一二日挙式して事実上の婚姻をし、爾来相手方は申立人方においてその父母弟妹らの家族と同居し、田約一町四反歩、畑約二反歩の耕作の手伝および家事に従事していたが、同三五年八月○○日婚姻の届け出をして法律上の夫婦となつた。事実上の婚姻をした当初、申立人は他家から入つてきた相手方を屁護する態度を示したが、その程度が強きにすぎたので、かえつて相手方は申立人の家族、ことに申立人の母より快く思われず、そのため右婚姻後半年位を経過した頃から申立人とその母とが互に喧嘩口論をすることもあつた。他方かような申立人の態度に対し、申立人の父母の意向を受けた相手方が申立人をたしなめると、もともと短気で僅かのことにすぐ興奮しやすい申立人はそのような相手方の態度を嫌い口論をすることもあつた。そのほか直情経行にして、やや社会性に欠ける点のある申立人の日頃の言動およびこれに対する相手方の強気な態度ならびに申立人方の家族(とくに母親)の態度などが原因となつて、当初は互に愛情を感じ円満な夫婦生活を続けようと意図していた申立人と相手方との間の感情に次第に離間が生じ、ことに申立人の前記のような態度につき相手方は夫としての信頼感を失い、将来果たして円満な夫婦生活を継続しうるか否かにつき疑惑の念を抱くようになつた。そのような矢先、昭和三五年七月下旬些細なことに端を発して夫婦間で口論を始めた挙句、申立人が相手方に暴力を揮い、さらにその後も僅かなことで相手方を殴打したりなどすることがあつたので、相手方は申立人と婚姻を継続することが困難であると考えるようになつた。そして、たまたま昭和三五年八月一五日、相手方が旧盆のため実家に帰ろうとするにあたり、従前のしきたりにしたがつて申立人に同行方を求めたが、申立人はこれを強く拒絶し、その点につき互に言い争つたが、その際申立人が興奮の余り過激な言辞を用い、しかも申立人もその場にいた母も申立人の帰宅を求める趣旨のことを云わなかつたため相手方は申立人に対する不信感をいよいよ強め、申立人と離婚するほかあるまいと考えながら肩書住所の実家に帰宅した。相手方の帰宅後、申立人は積極的に相手方の帰宅を求めることをせず、仲人その他の親族が円満解決を図るためあつせんの労をとつたが、当事者双方とも相手方の申立人方への復帰につき熱意を示さないばかりか、相手方が実家に帰つてから一ヵ月も経たないうちに申立人方に置いてある相手方の荷物を引き取ることになり、昭和三五年九月○日これを引き取つたが、その際現場にいた申立人はこれを阻止しようともしなかつた。これよりさき、相手方は以上のような状態のもとではとうてい申立人と婚姻を継続しがたいものと考え、昭和三五年九月四日当裁判所に「相手方との離婚および相当額の慰謝料の支払など」を求める趣旨の離婚調停を申し立て、同年一〇月一日より同年同月二五日まで四回にわたり調停が開かれたが、合意が成立せず、相手方(右調停事件の申立人)においてその頃姙娠中絶の手術をしたため健康を害し、かつ再考するため右申立を取り下げた。右取下後、約半月を経過した昭和三五年一一月一三日、今度は申立人の方から相手方に対して同居を求め、もしこれに応じられなければ協議離婚して貰いたい旨の申し出をし、さらに同年一二月一一日頃再び協議離婚に同意して貰いたいと申し出たが、相手方はいずれもこれを拒絶した。なお申立人は相手方に対し当初の申出をした翌日の昭和三五年一一月一四日に相手方との同居を求める旨の申立をしているが、その真意は必ずしも相手方との同居を固執せず、相手方において同居に応じないならば離婚に同意して貰い、新たな配偶者を求めて再出発し、あわせて父が昭和三四年一一月以来病臥しているため、とかく不足勝な労働力を補いたいとする点にある。しかし、相手方との離婚については、慰謝料の支払ないし財産分与などということはまつたく念頭になく、かつて別居を始めて間もない頃、仲人がその頃相手方の妊娠中の胎児のことおよび離婚することになれば慰謝料を考慮して貰いたい旨を述べたところ、申立人は胎児は相手方の方で勝手に処置して貰いたい、慰謝料の問題については俺をゆする気かと語気荒く応酬したため、仲人はそのまま帰宅した。これに対して、相手方は前記のとおり申立人との離婚は現在の段階では最早やむを得ないものと考え、むしろこれを希望さえしているが、離婚に際しては少なくとも慰謝料として金三〇万円を請求したいという意思を持つている。

以上、認定の事実によれば、申立人と相手方との間には、すでに相互に離婚の意思はあるものの慰謝料の支払いの点で合意が成立せず、別居生活を続け今日におよんでいるものというべきである。

夫婦がその婚姻中、当事者双方の協議によつて定めた特定の場所に同居すべき義務のあることは、夫婦間の協力義務および扶助義務とともに夫婦関係の本質的要請にもとづくものであつて、婚姻の成立とともに発生し、これが解消にいたるまで継続するものである(民法第七五二条参照)。かように夫婦は相互に同居すべき義務を有することをたてまえとするが、それは夫婦関係が通常の状態にあり、相互に夫婦としての信頼関係が維持されている場合を前提とするのであつて、前示認定のように夫婦間でそれぞれ離婚を求める意思を持ちながら、ただ単に慰謝料の支払いの点につき争いがあるため、未だその最終的結末をみるにいたらない場合にあつては、すでに夫婦としての実質が破壊されており、夫婦で同居生活を続けることは到底これを期待することができないで、右のような場合には夫婦の一方より他方に対し同居義務の履行を求め得ないものというべきである。

よつて本申立は理由がないので、これを却下することにし、主文のとおり審判する。

(家事裁判官 岡垣学)

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